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江戸期も「管理職」はつらいよ? 淀藩士の子孫、先祖の日記を冊子に
 2006.03.08 Wed
最近、江戸時代に興味を持っています。

最近の学説では、

・鎖国は割りと緩やかで、長崎の出島以外からも外国文化や情報の流入がかなりあったとのこと。ロシア→北海道→幕府,西洋→中国→琉球→薩摩,小笠原諸島→幕府などのロビーを確立していた。

・身分制度は割りといい加減で士農工商の序列もかなり怪しく、身分間の移動も容易であった。武士は株を買えば誰でもなれた。例えば、幕末に幕府方で活躍した人で勝海舟、榎本武揚、大鳥圭介などはそうである。また新撰組の近藤勇、土方歳三などは百姓から士分に取り立てられている。

という説がかなり有力になりつつあるそうで、関係する書籍なども出ています。
近々紹介します。

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 江戸時代後期の淀藩士の子孫が、代々伝わる先祖の日記を読み解き、このほど冊子にまとめた。「宗門方」として戸籍関係や寺社管理を担当した日記の作者は、現代の企業でいえば中間管理職。職務と私生活の両方をつづった日記は、他藩との円滑な関係や寺社の統制に心を砕きつつ、休みも削って働いた当時の役人の精勤ぶりを生き生きと伝えている。
 作者の竹林吉利は、淀藩の弓道指南役を務めつつ宗門方を兼務。天保3(1832)年7月から翌年の正月まで欠かさず記した日記が、子孫の竹林直彦さん(64)=京都市下京区=の家に残されており、竹林さんら藩士の子孫でつくる「淀藩古文書研究会」が2年以上かけて解読した。
 日記を開くと、7月9日付の記録には、年貢を納めなかった寺の住職が村の庄屋とともに呼び出しを受け、寺の窮状を訴えている様が書かれている。
 ほかにも、淀藩所領のあった摂津で農民が勝手に寺の鐘をつくなどのトラブルが発生、吉利はその処理で大みそかまで出勤を強いられたことや、領地問題などで相談に乗ってもらっていた大阪奉行所の与力には季節ごとの贈り物を欠かさなかったことなど、当時の勤務実態が細密につづられている。
 研究会メンバーは「先祖の日記を通して生きた歴史を知った」と冊子の完成を喜び、指導にあたった常松隆嗣・関西大非常勤講師は「当時は寺が乱れていた時代だった。宗門方という役人の目を通した地域の歴史が浮かび上がってくる」と成果を振り返る。冊子は1部1500円で販売している。問い合わせは竹林さんTEL075(321)0308。
(京都新聞) - 3月7日11時49分更新
淀

先祖の残した古文書の解読を続ける「淀藩古文書研究会」のメンバー(京都市伏見区)
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  c:2  t:0   [太刀持ち荒勢]
comment

勝手に寺の鐘をついた摂津の農民に拍手します。
by: ムサシ | 2006.03.08 08:25 | URL | edit

いつの時代にもイタズラ者がいるというのは人間味があってほほえましいですね。
しかし当時は時計など無いでしょうから民衆はお寺の鐘で時間を計っていたとも推察されます。かなり生活に影響が大きかったのでしょうね。
by: 鉄サソリ | 2006.03.12 16:42 | URL | edit
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